クレージュ

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アンドレ・クレージュ  プロフィール

1923年
ピレネー山脈麓、南仏ナヴァール地方の中心都市ポーの町で地主の息子として生まれた。 幼少時代から絵に興味を持っていたが、両親の希望で土木建築学科に進む。 兵役中も飛行学校を選ぶなど、近代未来に対する関心が強かった。
1944年
空軍パイロットとして兵役に従事。橋を造るエンジニアになるが、その傍ら故郷の仕立て屋の紳士服のモデルをつくっていた。クチュールへの興味をもちはじめ、第2次世界大戦後にパリに出て、1946年にパリ高等服飾産業学院に入学。
1947年
ジャンヌ・ラフォーリのメゾンのデザイナーとして入店。
1951年
パリの巨匠クリストバル・バレンシアガのもとで約11年間修行を積み、衣裳構築の美学と 技術を学ぶ。夫人のコクリーヌ・バリエールとは、ここで知り合った。
1961年8月
クレベール通りにサロンを開設して独立。この年の初コレクションのデザインは建築的 な構成美をもち、「白の幻想」をテーマに大当たりとなって一躍有名になった。最初の4シーズンは厳しく 均整のとれたバレンシアガ的な作品を追っていたが、それ以後はソフトで軽やかな傾向が強まる。
1963年春
白オーガンジーに縫取りした夜のシガレット・パンツを発表し、同年秋には、スカートの ヘム・ラインが膝頭まで上がった、化粧気のない、長くてたくましい脚の若いマヌカンたちが登場した。 1964年、「ローブ・ド・パンタロン」では、夜会用の服にパンタロンを提案し、スポーティで機能的 な傾向を強調する。
1965年
春夏パリ・コレクションで、「ミニ・ルック」と呼ばれるミニ・スカートを発表。このミニ・ ルックは、それまでオート・クチュールで最も醜い身体部分とされてきた膝頭を解放。単にスカート丈が 短いだけでなく、美学的にも完璧なまでの美しさを持ったこのスタイルは爆発的なブームとなり、 「未来派のバレンシアガ」と呼ばれる。
1967年
シースルー・ドレスのほか、宇宙服ルック、大胆なチェックとストライプ使い、チュニック とパンツの組み合わせなどが、ファッション界に一大旋風を巻き起こした。しかし、ミニの爆発的なブームに伴い、粗悪なコピーが氾濫したため、3シーズンにわたる活動休止を決意。その後、フランソワ・ プルミエにサロンを移設し展示を再開した。以後、オートクチュールを「プロトティプ(原型)」、プレタ・ ポルテを「フュチュール(未来)」、ニットなどを「イポルベル(双曲線)」と3部門に分けて展開した。
1970年
プレタ・シリーズ「イペルボール」、オート・クチュール「プロトティープ」、ニット「マイユ」、コレクション「クチュール・フュチュール」の4シリーズを発表。
1971年
香水部門、1973年には紳士服部門をスタート。
1972年
ミュンヘン五輪のフランス選手の全ユニフォームをデザイン。
1973年
男性服分野「クレージュ・オム」をスタート。1977年、男性用香水「FH77」を発表。
1987年
レジヨン・ドヌール勲章受賞。 “クチュール界のル・コルビュジェ(モダニズムを代表する建築家)”と呼ばれる彼はモード以外の分野でも、幅広い活躍を続ける。
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